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Death of Libertarianism, part 4 of 6

wolves (DoL pt.4)

〈外部〉には狼がいる。メタ・ネオカメラリズムは政府をすでに企業として扱い、Exitは議論ではなく、振り返らずに出ていくことになる。

20 min readPoliticsEconomicsLibertarianismNrx

菜食義務化

2013年5月、Landは定義と題した短い投稿で、政治のあらゆる立場を狼と羊だけで並べてみせた。

Socialists imagine there are no wolves, so democracy is easy.

Conservatives imagine democracy as a way for wolves to apologize.

Libertarians imagine democracy as two wolves and a sheep deciding on the main course for dinner.

Neoreactionaries see democracy as two sheep and a wolf deciding on the merits of mandatory vegetarianism.

社会主義者は狼などいないと想像する。だから民主主義は簡単だ。

保守主義者は民主主義を、狼が謝罪するための方法として想像する。

リバタリアンは民主主義を、2匹の狼と1匹の羊が夕食のメインディッシュを決める採決として想像する。

ネオリアクショナリーは民主主義を、2匹の羊と1匹の狼が菜食義務化の是非を決める採決として見る。

Nick Land, "Definitions", Outside in, 2013

結局はすべて苛烈な現実主義に行き着く、と前置きされたこの4行のうち、リバタリアンの行はよく知られた言い回しの借用で、ネオリアクショナリーの行だけがひっくり返っている。食われる心配をしているのは羊の側じゃない。数で勝る羊が、狼に草を食べさせる決議を出す。コメント欄で、羊を美化することでしか民主主義は繁栄できない、だから菜食の義務化が大事だとされる、と書いた読者に、Landは宗教的なテストを出している。神の子羊を思い浮かべて、ミントソースを連想せずにいられるか試してみろ。

笑ったあとで、Landは同じコメント欄でもう少し冷たいことを言っている。自然なものは何をすべきかを教えてくれないし、何の正当化にもならない、という読者の一文に、前半は明らかに正しく、後半は議論の余地がある、と返して、こう続ける。自然は誤りを罰し、根絶する。そして誤りの定義が気に入らなくても、訴え出るべきそれ以上の法廷はない。生き残ることは正当化なのか。そうでないなら、自然が受け取るどんな通貨でも、正当化にはたいした価値がない。

狼はここで、たとえ話の動物から帰結の執行者へ変わる。それがはっきり定式化されるのは翌年3月、LandがMoldbugのネオカメラリズムを、もっとも抽象的な特徴だけで捉え直したメタ・ネオカメラリズムの記事だった。統治のあらゆる体制は主権財産を周期的に再生産する仕組みとして扱えて、その再生産がうまくいっているかどうかには外的な基準がある。生き残ることだ。どんな社会も体制も、何がうまくいくかを自分で決めることはできない。〈外部〉には狼がいて、Gnonの鞭として働いていて、想像しうる最大の神王でさえ、Moldbugが思考実験に登場させた畏るべき絶対君主フナーグルですら、最終的には帰結を発明するのではなく発見しなければならない。これより重要な原理はない、とLandは書いて、次の段落に入る。

Entropy will be dissipated, idiocy will be punished, the weak will die. If the regime refuses to bow to this Law, the wolves will enforce it. Social Darwinism is not a choice societies get to make, but a system of real consequences that envelops them. MNC is articulated at the level — which cannot be transcended — where realism is mandatory for any social order. Those unable to create it, through effective government, will nevertheless receive it, in the harsh storms of Nemesis. Order is not defined within itself, but by the Law of the Outside.

エントロピーは散逸させられ、愚かさは罰せられ、弱いものは死ぬ。体制がこの法に頭を下げるのを拒めば、狼がそれを執行する。社会ダーウィニズムは社会が選べる選択肢ではなく、社会を包み込む現実の帰結の体系だ。メタ・ネオカメラリズムが語られるのは、どんな社会秩序にとっても現実主義が義務になる、超えることのできない水準においてだ。効果的な統治によって現実主義を作り出せない者も、ネメシスの苛烈な嵐の中で、それを結局は受け取ることになる。秩序は自分の内側で定義されるのではなく、〈外部〉の法によって定義される。

Nick Land, "Meta-Neocameralism", Outside in, 2014

だからこの水準でどんな体制を信じるのかと聞かれたら、答えは1つしかなく、現実と両立する体制、になる。誤りの罰が自分たちの時間尺度では来ないでほしい、という読者には、Landはコメント欄で、Gnonの法則はあらゆる時間尺度で働く、僕たちの時間尺度では働かないでくれと求めるのは虚栄だ、と返している。

カスケードの2段目で、Landはもう1つの前提を足す。文明は狼より優しい教師を探すだろう。崩壊を経験するより、崩壊を理解できるならそちらを選ぶだろうし、狼が学べない者を歴史から間引いたあとには、なおさらそうなる。生き延びられるものなら何でも教育になりうるけれど、権力にはとくに、学ぶことを学ぶという第二次の学習の文化を引き受ける責任があって、その洗練の中にもまだ狼の匂いが残っている。ここから権力の悲劇が始まる、とLandは書く。実践的な学習は還元不可能に実験的で、失敗を演繹で締め出すことはできず、学習の機械そのものに組み込むしかない。そして形式化されるほど流動的になった権力は、自分自身を売り渡せるようになり、富と、社会の平和と、前例のない体制の慈善や宗教的な犠牲と交換できるようになる。この2つを合わせると、近代に入った体制は、実験的に自分を解体する新しい能力を手に入れていることになる。

Trade authority away to the masses in exchange for promises of good behavior? Why not give it a try?

行儀よくするという約束と引き換えに、権威を大衆へ売り渡してみる? 試してみない手はないだろう。

Nick Land, "Meta-Neocameralism", Outside in, 2014

2匹の羊と1匹の狼による採決は、この実験の名前だった。狼は自分から草を食べることに同意したのであって、その同意がどれだけ高くつくかは、もっと大きな狼が〈外部〉から教えに来るまでわからない。

嘘でないものは全部間違い

カスケードの3段目で、Landはまだ処方箋を書いていないと断ってから、分析の道具を1つ渡す。現存するものも可能なものも含めて、すべての政府は主権企業として捉えたときにもっとも厳密な調査に開かれる。権力は実際にその形で発達してきたからだ。

MNC does not decide that government should become a business. It recognizes that government has become a business (dealing in fungible quantities). However, unlike private business ventures, which dissipate entropy through bankruptcy and market-driven restructuring, governments are reliably the worst run businesses in their respective societies, functionally crippled by defective, structurally-dishonest organizational models, exemplified most prominently by the democratic principle: government is a business that should be run by its customers (but actually can't be). Everything in this model that isn't a lie is a mistake.

メタ・ネオカメラリズムは、政府が企業になるべきだと決めるわけではない。政府が企業に、交換可能な量を扱う企業に、すでになっていることを認識するのだ。ただし、倒産と市場主導の再編によってエントロピーを散逸させる私的な事業とは違い、政府はそれぞれの社会でいつも最悪の経営をされている企業であり、欠陥があって構造的に不誠実な組織モデルによって機能を損なわれている。その最たる例が民主主義の原理だ。政府とは、客が経営すべき企業である、ただし実際にはそれはできない。このモデルの中で嘘でないものは、すべて間違いだ。

Nick Land, "Meta-Neocameralism", Outside in, 2014

権威は昔から売り買いされてきた、とLandは続ける。政治的な職を最初に売った奴は、それが同じくらい簡単に買えることを即座に証明してしまうのだから、権威には値段がつかないという反論は自分で解決してしまうし、忠誠や連帯や美徳やカリスマが権力の要因なら、それらは国家運営の計算の中ですでに経済化されている。マルクスは貨幣化された資本が商品の循環を通じて自分を再生産し膨らませる回路を書いたけれど、それと並んで、貨幣化された富を通じて権力が循環し増強される回路がある。

M→C→M′M→P→M′あるいはP→M→P′M \to C \to M' \qquad\qquad M \to P \to M' \quad\text{あるいは}\quad P \to M \to P'

君主が別の君主の領地の質を見積もるとき、彼はもう敵対の費用を見積もっていて、近代の軍事官僚制にとってそういう計算は日常業務だ。通約不可能な価値は、国防予算との接触を生き延びない。

これがネオカメラリズムを社会の設計図だと思っている読者への答えにもなっていて、コメント欄で、では何をなすべきか、Exitのパッチワークはすでにあるのか、神が作ってくれるのを待つのか、それとも追い求めて守らなければならないものなのか、と問いを並べた読者に、Landは、その問いはこの文脈では奇妙に逆さまになっている、まるでネオカメラリズムが前もって定式化されるべき社会の青写真を実装することであるかのようだ、と返している。メタ・ネオカメラリズムから始める要点は、そういう本質的にユートピア的な社会理論を決定的に括弧に入れることにある。政府はすでに主権企業で、そのように分析できる。

客が経営すべき会社という壊れたモデルは、大きな国家だけの病気じゃない。2017年7月、LandはPax Dickinsonが始めたCounter.Fundという計画を、いま右派で起きていることの中でたぶんいちばん知的なものだと持ち上げた。インターネットの、そしてもっと一般に自己触媒的な社会機械の木目に沿って有能に食い込もうとしていて、何をなすべきかという問いが出るたびに指さすべきはこういうものだ、未来の断片が明らかにそこへ流れ戻ってきている、と。仕組みはトラストレスに向かっていて、それが21世紀のあらゆる社会技術の第一の機能的な基準だとLandは書く。それでも1つ引っかかりがあって、「協同組合の食料品店」モデルは客に統治の役割を意図的に与えているから、ネオカメラリズムの基本原理に真っ向から反している。冷笑の蛇口をひねる前に、まず試してみるのが議論を進める最良の方法だ、とコメント欄で付け加えながらも、Landは同じ誤りが小さな規模で繰り返される瞬間を見逃していない。

客が経営する会社は潰れない。潰れない会社の失敗は、どこへ行くのか。2015年1月、LandはCato研究所のChris Edwardsが国立政府失敗博物館を作るべきだと提案した記事を、Fernandezという書き手の要約で紹介している。Fernandezによれば、展示の候補は一度も使われていない3億4900万ドルのロケット試験施設、15マイル近いトンネルを残した超伝導超大型加速器の廃墟、幻に終わったユッカ・マウンテンの核廃棄物処分場で、しかもドル換算でいちばん大きな失敗は麻薬との戦争や貧困との戦争のほうで、何兆ドルもが実りなく費やされたあと、どこかの官僚機構の無名の墓に眠っている。Landはそこに一言足す。浪費という範疇そのものがここでは失敗していて、社会政策に浪費された資源がまるごとハイパースペースへ跡形もなく消え去ってくれたほうが、文化的にはまだ毒が少なかっただろう。破滅的な依存のインセンティブが大幅に減っただろうから。そして機能不全の政治制度が自分の公開処刑に協力するなどというのもまた狂気で、それはベルトウェイのリバタリアンが妙にかかりやすい狂気だ、と。

倒産しない企業の失敗は散逸しない。博物館に積み上がっていく。

リヴァイアサンに踏まれる

〈外部〉に狼がいるのなら、それを知らないまま出ていこうとする奴は食われる。2014年2月、Landはネオリアクションの置かれた位置を、地政学の言葉で描いた。

To underscore the latter point, NRx is reasonably analogized to a weak, fissile state, cross-cut by the machinations of superpowers (libertarianism and the ENR). Local 'nationalists' deploring all alien interference quickly find their positions undermined by the blatant dissymmetry of their concerns, driving them into polarization, conflict, collaboration, and counter-collaboration. Which Right is right? The potential tension is extraordinary. It cannot possibly be less than interesting.

この点を強調するなら、NRxは、リバタリアニズムと欧州新右翼という超大国の策謀に縦横に切り裂かれた、弱く核分裂しやすい国家にたとえるのが妥当だ。あらゆる外国の干渉を嘆く現地の「ナショナリスト」たちは、自分たちの懸念のあからさまな非対称によってすぐに立場を掘り崩され、分極化と、衝突と、協力と、対抗協力へ追い込まれる。どの右派が正しいのか。潜在的な緊張は並外れている。面白くないはずがない。

Nick Land, "Umlaut", Outside in, 2014

その記事への追記で、Landの対極にいたMichael Anissimovの言葉が引かれている。ここで僕とNick Landは道を分かつ。僕はフリードリヒ大王の解にはまっていて、彼は香港の解にはまっている。Moldbugの創設テクストに照らせば、どちらも等しく妥当な解釈だ。Landの返事は一語だった。その通り。香港の解が何を意味するのかは、別の記事のコメント欄でLandがほのめかしていて、競争的な市場を政策として推し進めることは極端に、ほとんど持ちこたえられないほど無私な行為で、だからそれは珍しく、香港ではそれが少数の並外れて優れた総督から受け継がれた、とある。プロイセンの啓蒙専制君主か、自由放任を受け継いだ植民地の港か。同じMoldbugから、逆向きに2本の線が出ている。

同じコメント欄で、読者がリバタリアンとNRxの境界を、リバタリアンは自分たちの選んだ規則に国家をいつまでも従わせようとするが、NRxは良いインセンティブを持つ国家を設計しようとする、とまとめたとき、Landはとても有用な定式化だと認めたうえで、こう直している。本気のリバタリアン、つまり記述的なアナルコ・キャピタリストのタイプは、統治における現実的なインセンティブ構造の役割を強く強調する。彼らの問題はむしろ、選択し制御する外的な環境、つまりパッチワークを参照しないまま、内的な規制の体系が実現できるとまだ考えていることだ。リバタリアンは狼のいない内側で規則を設計しようとして、狼のいる外側を勘定に入れない。同じ読者たちの別のやりとりで、Landはもう1つの梃子を名指ししている。

HBD is certainly the most important source of conceptual leverage relative to libertarianism, which renders itself ineffective — and even toxic — through its axiomatic (i.e. unexamined) universalism.

HBDは、リバタリアニズムに対する概念的な梃子の源として間違いなく最も重要だ。リバタリアニズムは、その公理的な、つまり吟味されていない普遍主義によって、自分を無力に、さらには有毒にしている。

Nick Land, "Umlaut", Outside in, 2014, コメント欄

半年後、Landは核分裂の軸をはっきり引く。NRxはそのスペクトル全体で、リバタリアンでもファシストでもない。けれどどちらとの結びつきをより不名誉と感じるかによって、際立った極性、つまり核分裂の軸がある。Landの見るところ、それはAlexander Duginの言うヒュペルボレアとアトランティスの大陸的な永久戦争にきれいに重なっていて、Moldbugから受け継いだものは問題なくアトランティスの側にある。コメント欄では、好むと好まざるとにかかわらず、このアトランティスとヒュペルボレアの分節こそが、これからの数十年に世界のイデオロギー史が展開していく決定的な軸になるだろう、いま世界でいちばん重要な問いは中国がこれをどう打つかで、ほかのすべてはその余波だ、と書き、大陸ヨーロッパは、わずかな例外を除いて、狂気以外の何に対しても永遠に失われた、とも言い捨てている。そして民衆的な右派に対しては、子どもっぽい楽観を煽りたくはないけれど、とことわりながら、わめく群衆がどの段階にも関わらない反革命のモデルがそこに必要だ、シリコンバレーの億万長者や国家安全保障局の高官や、そういう人物たちを惹きつければ、あらゆることが可能になる、と書いた。

ではリバタリアンの側の出口はどうなっているのか。Landは2014年8月の記事で、Patri Friedmanの言うDynamic Geographyは、並行するポスト・リバタリアン的な枠組みとしてNRxにとても近いと認めながら、決定的なものが欠けていると指摘する。リアルポリティーク、マキャヴェリズムだ。それは政府の合理的な実験が許される善意の環境を前提にしていて、スタートアップ・シティもその近縁のチャーター・シティも同じ問題を抱えている。容赦ない敵との理論的にも実践的にも避けられない遭遇を経ずに、実行の段階まで自分を定式化できると思っていて、「非合理的な」妨害が来ると混乱してしまう。NRxは最初から大聖堂について語ることで、そういう素朴さを免れている。その半年後、Friedmanが新しいプロジェクトを始めたとき、Landの評はこうなった。

Patri Friedman's Cuddly Alt-NRx project seems to be coming together nicely. Aesthetics aside, there's very little to object to. A few hard stompings from Leviathan and the nastiness should re-import itself automatically.

Patri FriedmanのぬいぐるみみたいなオルタナNRxプロジェクトは、うまくまとまってきているようだ。見た目の趣味を別にすれば、異論はほとんどない。リヴァイアサンに何度か思いきり踏まれれば、凶暴さは自動的に再輸入されるだろう。

Nick Land, "Patri-Archy", Outside in, 2015

コメント欄では、自由な結社のための現実のメカニズムを推し進めることになるものなら、どんな包装をしてもかまわない、それは真っ直ぐ右へ向かう、と付け足している。善意の環境を前提にした出口は、最初の一歩で踏まれる。踏まれたところから、狼の歯が生えてくる。

塩の柱

だから出ていくことは、どこへ行くかを決める前に、どう分かれるかの問題になる。2014年8月、Landはネオリアクションの分析の際立った構造的特徴を、論理階梯を1段上げることだと書いた。具体的な社会の理想や第一階の政治的な好みについての議論は、楽しくて、局所的には明快で、集団を作るのには実用的でも、究極的には些末で気を散らすものだ。根本的な問いは、僕たちがどんな社会を好むかではなく、そもそも別々の社会モデルが可能になるように社会どうしが分化することのほうにある。社会の理想について合意が成り立つことはないのだから、それについての議論にはまり込むことは、結局は罠になる。

Universality is poison. Whenever NRx appears to be proposing a social solution for all people everywhere it has become part of the problem. The ultimate goal is for those who disagree to continue to disagree in a different place, and under separate institutions of government. First-order political argument, insofar as it tends towards compromise (i.e. partial convergence) is positively harmful to the large-scale NRx project. The sole crucial agreement is that we will not agree. Better by far to make that harsher, than to soften it.

普遍性は毒だ。NRxがあらゆる場所のあらゆる人々のための社会的な解決策を提案しているように見えるときは、いつでも、それは問題の一部になってしまっている。究極の目標は、意見の合わない者たちが、別の場所で、別々の統治制度のもとで、意見が合わないままでいられることだ。第一階の政治的な議論は、妥協に、つまり部分的な収束に向かうかぎり、NRxの大規模なプロジェクトにとってはっきり有害だ。唯一決定的な合意は、僕たちは合意しないということだ。それを和らげるより、もっと厳しくするほうがずっといい。

Nick Land, "Disintegration", Outside in, 2014

この水準に立つと、敵と味方の線も引き直される。メタ・ネオカメラリズムが対立するのは地政学的な統合だけで、それは歴史の運命として大聖堂のことになる。どれほど嫌悪を催す社会の理想であっても、普遍的に広める実践的な仕組みを持たずに特定の領域の中で何かをやろうとするだけなら、敵ではなく戦術的な同盟者でありうる。運命を解体するものはすべて僕たちの側にいる。地政学的な自律化という過激なプロジェクトに本当に成功した共産主義的な地域主義の運動は、同じ目標について多くを語りながらそれを実現できる兆しを何も見せない、イデオロギー的にいちばん純粋な具体的反動運動より、現実的にはずっと重要な戦術的同盟者になるだろう、とまでLandは書いている。そして記事の結びは、こうなる。

The objective is to divide the world, not to unify it in accordance with those principles best attuned to your preferences, however rationally or traditionally compelling such preferences might be. Universalism is the enemy. Don't do it (and to make a scholastic objection out of the universality of non-universalism, is to have immediately started doing it — check your totalitarian Hegelianism). Exit is not an argument.

目的は世界を分けることであって、自分の好みにいちばんよく合う原理に従って世界を統一することではない。その好みが、理性的に、あるいは伝統的に、どれほど説得力を持っていようとも。普遍主義は敵だ。それをやるな。非普遍主義の普遍性について揚げ足取りの異論を立てることは、その瞬間にもうそれをやりはじめていることになる。自分の全体主義的なヘーゲル主義をチェックしろ。Exitは議論ではない。

Nick Land, "Disintegration", Outside in, 2014

コメント欄で、Landはこの要点をさらに削っている。強く異なる選好を持つ者たちとの関係で地政学的な外部性を獲得し、そのあと彼らに何が起きても、もう自分の問題ではなくなるようにすること。そして同じスレッドに、ぽつりと1行を落としていく。神権伝統主義の同志たちがソドムとゴモラの話をもっと持ち出さないのが意外だ、素晴らしいExitの寓話なのに。

創世記19章で、2人の御使いはロトとその家族の手を取って町の外へ連れ出し、命がけで逃げろ、後ろを振り返るな、と言う。天から硫黄と火が降り、町は滅びる。ロトの後ろにいた妻は振り返って、塩の柱になった。彼女を固めたのは火じゃなくて、視線のほうだった。捨ててきた町をもう一度見ること、まだその町と話し合えるかのように、その町の運命がまだ自分の問題であるかのように見ること。町を出たあとで町に向かって議論を続けようとする者は、出たことにならない。

ギリシャには、ちょうど裏返しの話がある。オルフェウスは冥府の王の許しを得て、死んだエウリュディケーを地上へ連れ戻す道を歩く。地上に出るまで振り返ってはならないという条件で。出口の手前で、彼は後ろの妻がちゃんとついてきているかを確かめずにいられなくなって振り返り、彼女は闇の中へ引き戻される。ロトの妻は残してきた町を見て、オルフェウスはついてくる者を確かめようとした。前者は捨ててきた世界への未練で、後者は全員がちゃんと一緒に来ているかへの気遣いで、どちらもExitを殺す。全員を連れていけるかどうかを確かめずにいられない視線は、普遍主義のいちばん優しい形をしている。Landの言う地政学的な外部性は、そのどちらの視線も断つことで、後ろに何が残ったか、後ろで何が起きているかが、もう自分の問題ではなくなるところまで出ていくことだった。

出ていった者がどこまで行けるのかについて、Landは別の記事のコメント欄で、知能が重要なのはそれが唯一の非局所的な適応だからだ、と書いている。何であれ気まぐれな浮動の中で選択されうるけれど、知能は違う。それは絶対的な脱出の能力だ。

振り返るな。


参照

  • Nick Land, "Definitions", Outside in (xenosystems.net), 2013年5月14日.
  • Nick Land, "Umlaut", Outside in (xenosystems.net), 2014年2月17日.
  • Nick Land, "Meta-Neocameralism", Outside in (xenosystems.net), 2014年3月24日.
  • Nick Land, "Disintegration", Outside in (xenosystems.net), 2014年8月4日.
  • Nick Land, "Fission II", Outside in (xenosystems.net), 2014年8月6日.
  • Nick Land, "Failure", Outside in (xenosystems.net), 2015年1月20日.
  • Nick Land, "Patri-Archy", Outside in (xenosystems.net), 2015年2月23日.
  • Nick Land, "Thick and Thin", Outside in (xenosystems.net), 2015年8月29日.
  • Nick Land, "Counter Fund", Outside in (xenosystems.net), 2017年7月16日.
  • 『創世記』19章.