syncytin
最初のサイボーグは子宮で組み立てられた
抜け殻
僕の細胞のひとつひとつの核の奥には約30億塩基対の配列が折り畳まれていて、そのうちのおよそ8%はレトロウイルスの残骸でできている。かつて僕の祖先たちの身体に外から入り込み、増殖し、宿主の免疫系と競り合い、何世代もかけて弱まって変異を重ねたあげく、自分を複製する力さえ失ったまま染色体の隙間に横たわり続けている奴らだ。生物学は長いあいだそれを意味のないがらくたとして片づけてきたのだけど、その数字をまともに受け止めると、僕という奴は先祖から受け継いだ記憶で組み上がっているというより、先祖に感染した奴らの墓碑銘が何千万年分も積み重なった地層の上にかろうじて自分の名前を書いた紙を1枚貼りつけているだけ、ということになってしまう。
僕たちは自分の身体を、父と母から半分ずつ受け取った設計図が誠実に実行された結果として想像するように教えられてきた。家系図はその想像を目に見える形にした図で、そこでは遺伝は上から下へ、親から子へ、静かに一方向へ流れ落ちる川のように描かれている。けれどもその川底を少し掘ってみると、沈んでいるのは祖先の骨よりも、どこから来たのかもわからない侵入者たちの抜け殻のほうがずっと多いし、しかもその抜け殻のいくつかは、いまも完全には死んでいない。
ドゥルーズとガタリは、人間という形象がどんな抑圧の上に建てられているのかを描くところで、ある巨大な記憶の話をしている。
Man must constitute himself through the repression of the intense germinal influx, the great biocosmic memory that threatens to deluge every attempt at collectivity.
人間は、強度の胚的な流入、つまりあらゆる集団の試みを押し流そうとする巨大な生物宇宙的記憶を抑圧することによって、自らを構成しなければならない。
ニック・ランドは1995年の「Meat」でこの一節を引いて、社会のコード化とは身体を肉から引き剥がし、生まれ、生き、死ぬ有機的な自己へと仕立て直す操作なのだと書いた。僕がそこに付け足したいのは、この抑圧された生物宇宙的記憶が文字どおり僕たちのゲノムの8%を占める化石化したウイルスの層として、いまもこの身体の中に物として堆積しているということで、さらにその墓地の中からある遺伝子が掘り起こされなかったら、僕たちは誰ひとりこの世界に生まれてこられなかったということだ。
その遺伝子の名前をsyncytinという。
19世紀の終わり、アウグスト・ヴァイスマンは、生命を伝えるのは生殖細胞の中の生殖質だけで、それ以外の体細胞に何が起きても子孫には伝わらないと主張して、生殖系列と体細胞系列のあいだにほとんど絶対的な線を引いた。のちにヴァイスマンの障壁と呼ばれるこの線は、生命を外の偶然から守られた聖域として、親から子へ純粋に手渡されていく系譜として思い描くための、いちばん強い理論的な城壁になった。
ルチアナ・パリシは2007年の論文「Life by Contagion」で、ダーウィン主義もネオダーウィン主義も結局はこの系譜的な伝達、つまり有性生殖を通じて最適な形質が保存され積み上がっていくというモデルに寄りかかっていると批判して、リン・マーギュリスの細胞内共生説を持ち出す。真核細胞は、酸素という自分たちの排泄物に毒された太古の細菌たちが互いを取り込み取り込まれて生まれたキメラで、僕たちの細胞の中のミトコンドリアはいまも独自のDNAを抱え、細菌のように自分をクローン化しながら母から子へ手渡されている。パリシはそこに、系譜とは別の伝染的な伝わり方を見ていて、マーギュリスとセーガンのこんな比喩を引いている。
People and other eukaryotes are like solids frozen in a specific genetic mold, whereas the mobile, interchanging suite of bacterial genes is akin to a liquid or gas.
人間やその他の真核生物は、特定の遺伝的な鋳型の中で凍りついた固体のようなものであり、一方で、移動し交換され続ける細菌の遺伝子の一式は液体か気体に近い。
ところが、凍りついた系譜と流動する伝染というこの鮮やかな対立も、レトロウイルスの前ではあっけなく溶けてしまう。レトロウイルスは自分のRNAを逆転写してDNAに書き換え、それを宿主の染色体に直接縫い込むという、分子生物学のセントラルドグマを逆走するやり方で増える。その感染がたまたま精子や卵子のもとになる生殖系列の細胞で起きると、縫い込まれたウイルスの配列は宿主のゲノムの一部としてメンデルの法則どおりに子へ、孫へ、何百万世代も先へと律儀に遺伝していく。伝染はその瞬間にヴァイスマンの障壁を内側からすり抜けて、障壁に守られた聖域の中で、それ自体が系譜になってしまうわけだ。
系譜というのは、生殖細胞に入り込んで居座ることに成功した伝染の、別名なのかもしれない。伝染が十分に深く入り込み十分に長く居座ると、外からはそれが系譜と見分けられなくなるだけのことで、家系図の枝の1本1本には最初から無数の寄生者が絡みついていたし、その寄生者たちの重みが枝の伸びる向きを決めてきたのだとさえ言えそうだ。
サイボーグ
syncytinのもとになったのは、HERV-W、ヒト内在性レトロウイルスWと呼ばれる系統のウイルスが、数千万年前に霊長類の祖先の生殖系列へ入り込んだときに持ち込んだエンベロープタンパク質の遺伝子だ。エンベロープはウイルス粒子を包む外殻のことで、その表面に突き出たタンパク質は、標的の細胞の膜に取りついてウイルス自身の膜と細胞の膜を融合させ、中身を細胞の内側へ流し込む。侵入のための合鍵であり、こじ開けるためのバールでもある。
2000年の報告によれば、この合鍵は僕たちの身体の中のある特定の場所で、まるで別の目的のために使われている。胎盤の表面で、胎児の側から伸びてきた栄養膜細胞どうしを融合させ、細胞と細胞の境界を溶かして、何千何万もの核を1枚の膜の中に抱え込んだ巨大な合胞体の層をつくるために。syncytinという名前はこの合胞体、syncytiumから来ていて、ギリシア語の「ともに」と「細胞」を貼り合わせた語で、ばらばらの個体であることをやめてひとつに溶け合った細胞たちのことを指している。
そしてこの合胞体性栄養膜の層が、母の血液と胎児が向かい合う最前線の接触面になる。母体の動脈から送り込まれた血液はこの膜の表面を洗うように流れ、酸素と栄養はこの膜を通って胎児の側へ渡り、老廃物はこの膜を通って母の側へ戻っていく。母と子のあいだに引かれたいちばん根源的な境界線は境界を溶かしてつくった膜でできていて、その膜をつくる道具は、かつて境界を破るためだけにあった侵入者の合鍵だったことになる。HSSが最初に設置した検問所の門扉は、侵入者のバールを溶かして鋳造し直したものだったわけだ。
1953年、免疫学者のピーター・メダワーは奇妙な問いを立てた。胎児は遺伝的に半分が父親に由来していて、母親にとっては他人の組織なのだから、臓器移植の論理でいけば母体の免疫系に異物として攻撃されて拒絶されるはずなのに、どうして9ヶ月ものあいだ子宮の中で生き延びられるのか。胎児は母にとって半分だけ自分で半分だけ他人の移植片だというこの逆説は、70年あまりたったいまも、いくつもの仕組みが重なって働いているらしいとわかってきただけで、すっかり解けたとは言いにくい。
その仕組みのひとつと考えられているのが、もうひとつのsyncytin、syncytin-2だ。こちらはHERV-FRDという別のウイルスに由来していて、細胞を融合させる力に加えて、2007年の研究で免疫を抑える活性を持つことが示されている。多くのレトロウイルスのエンベロープには、宿主の免疫応答を鈍らせて自分を見逃させるための領域が組み込まれている。ウイルスが宿主の監視網をくぐり抜けるために磨き上げてきた偽装の技術なのだけど、哺乳類はそれをそっくり引き取って、今度は母体の監視網から胎児を隠すために使っているのかもしれない。
サディ・プラントとランドが1994年の「Cyberpositive」で描いたのは、移民と薬物とウイルスを同じ濾過装置で選り分けようとする免疫政治のパニックだったけれど、2人が書かなかったことがある。その免疫政治がいちばん最初に破られる国境は、ひとりひとりの母の子宮の内側にある。僕たちは誰もが、母体という国境の検問をウイルスから盗んだ偽装の技術でくぐり抜け、9ヶ月のあいだ見逃され続けたあげく外へ吐き出された密航者で、その手口を最初に考えたのは、数千万年前に僕たちの祖先に取りついてそのまま出ていかなかった奴らだ。
ランドは「Meat」の後半、資本と労働力について語る節の終わりに、ほとんど投げ捨てるような短さで1行を書いている。
The cyborg presupposes immunosuppression.
サイボーグは免疫抑制を前提とする。
ランドがこの1文で言いたかったのは、技術機械が身体の防衛を出し抜いて迂回し崩すことで、動物も有機体もあらゆる身体的な統一も時代遅れにしていく、ということだった。そこでサイボーグは、有機的な生殖から切り離された未来の存在としてダナ・ハラウェイの名前とともに語られていたのだけど、syncytinの話はこの命題を思いがけない方向から文字どおりに実現してしまう。免疫抑制の下で異物の部品を受け入れ、自分の素材でないもので組み立てられた身体をサイボーグと呼ぶなら、ウイルス由来の膜に包まれ、ウイルス由来の偽装で母体の免疫から守られて育つ哺乳類の胎児は、その定義をこれ以上ないくらい正確に満たしているからだ。
すべての哺乳類は、免疫抑制の下で組み立てられたサイボーグとして生まれてくる。サイボーグ化は、いつか有機的な生殖の向こう側にやってくる技術的な未来として語られがちなのだけど、それより先に、有機的な生殖そのものが成り立つための最初の条件だった。ハラウェイが有機的な生殖から切り離されたものとしてサイボーグを語ったとき、その切断線は最初から有機的な生殖のど真ん中を走っていたことになる。
パリシは、異なる種の形質を足し合わせた雑種と、どの部品にも似ていない新しいものとして立ち上がる共生体を区別していたけれど、胎盤はまさにその意味での共生体だと思う。ウイルスにも霊長類にも似ていないし、ウイルスの一部と霊長類の一部を貼り合わせたものとも言いにくい。ウイルスが持っていた膜を融かす力と、霊長類が持っていた血管と組織が、互いにまるで別の目的のために出会ったところに、どちらの過去からも予測できなかった形で現れた器官で、僕たちが人生で最初に装着する義肢はこの共生体でできている。
後産と胞衣
受精卵が分裂を繰り返して、数日後に胚盤胞という小さな中空の球になったとき、最初の運命の分かれ道が来る。球の外側を包む細胞は栄養外胚葉になり、内側に寄り集まった小さな塊は内部細胞塊になる。外側の細胞たちはやがて子宮の壁に食い込み、syncytinの力を借りて互いに融合しながら胎盤を組み上げていき、内側の塊だけが、のちに胎児の身体、つまり僕と呼ばれることになるものへ育っていく。
胚が生まれて初めて下す決断は、胎盤になる部分とそれ以外を切り分けることで、僕という奴は、ウイルス由来の器官を建てるための材料が切り出されたあとの残りの塊から始まっていることになる。胎盤の大部分は胎児の側の組織で、僕が最初につくり、最初に使い、最初に捨てた器官だ。
出産のとき、子が外へ押し出されたあとで子宮はもう1度収縮して、胎盤は剥がれ落ちて体の外へ出ていく。日本語ではそれを後産と呼び、かつては胞衣と呼んで、壺に納めて家の戸口や床下に埋める習わしを持つ土地もあったという。人間はウイルスの合鍵で建てた最初の家を、生まれた直後に墓へ送ってきたわけだ。
ランドが「Meat」でミルチャ・エリアーデから引いているシャーマンの入門儀礼では、霊たちが候補者を切り刻んで臓器を取り出し、骨を洗って肉を煮て、すべてを鉄で組み直したあとに2枚目の、さらには3枚目の皮膚が現れる。出産はそれよりずっと古く、ずっとありふれた形で繰り返されてきた脱皮で、胎盤は僕たちが最初に脱ぎ捨てる皮膚であり、誕生は最初のシャーマン的な解体なのだと思う。「Meat」の結末でウィラードの皮膚がぼろぼろに剥がれ落ち、電子回路と編み合わされた斑模様の技術皮膚が露出していくところで、ランドはこう書いている。
Daddy and mummy means nothing anymore.
パパとママはもう何も意味しない。
syncytinの側から読み直すと、パパとママは最初から、僕たちが思っていたような意味をあまり持っていなかったのかもしれない。僕を包み、守り、養った膜は、数千万年前に誰かの身体に取りついた見知らぬ奴の遺品で、僕が生まれた瞬間に用済みの廃棄物として世界に吐き出された。プロセスにとって厳密に必要でありながら、その出力にとっては厳密に無関係な、熱力学的な残りかすとして。
「Meat」の中でランドは、オイディプス的な法の成り立ちを2つの法の交代として描いている。
The Father's Law ('don't touch your mother') ices over the Mother's Law ('don't play in the tombs').
父の法(母に触れるな)が、母の法(墓で遊ぶな)を凍りつかせて覆う。
ランドによれば、この父の法による凍結とともに母殺しはますます想像できないものになり、文字で書かれた専制は女性の身体を系譜的な時間の中に封じ込め、女性の生殖系列を父系の血統の下に埋葬していく。父の法の下で母は、触れてはならない禁じられた欲望の対象として凍結される。
僕が気になるのは、凍らされたもうひとつの法のほう、墓で遊ぶなという母の法だ。僕たちのゲノムはそれ自体がひとつの墓地で、何千万年も前に死んだウイルスたちの遺骸がほとんど身動きもせずに眠っている地層だった。そして妊娠のたびに、母の身体の中ではその墓地の一角が掘り返され、眠っていたウイルスの遺伝子が叩き起こされ、その遺伝子からつくられたタンパク質が細胞と細胞の境界を溶かして、子のための最初の家を建てる。母の法は墓で遊ぶなと命じるのだけど、母の身体は妊娠のたびに墓を掘り返している。
母は、母の法を破ることでしか母になれないし、死者を起こすことでしか生者を産めない。ランドは、スフィンクスとは死の動物であり文明の外への門だというカルロ・ギンズブルグの言葉を引いて、オイディプスの物語に封印された異種的な母胎の痕跡を読んでいたけれど、その門は遠い神話の砂漠に立っているわけでもなさそうだ。胎盤を持つすべての哺乳類の雌の身体のいちばん奥で、妊娠のたびに、墓の扉として開いたり閉じたりしている。
そして墓が掘り返されるとき、出てくるのは死んだウイルスだけでもない。出産からかなりの年月がたった母親の血液の中に胎児由来の細胞がまだ残っていることが1990年代に報告されていて、その中には出産から27年後の例もあった。逆に母親の細胞もまた子の身体に入り込み、長いあいだそこに留まることがあるらしい。胎児性マイクロキメリズムと呼ばれるこの現象が示しているのは、出産で2つの身体に切り分けられたように見える母と子が、細胞のレベルでは互いの断片を抱え込んだまま、生涯にわたって混ざり合い続けているということだ。
ランドは「Meat」で、近親相姦と食人を、人格に無関心な錯乱の化身としての禁じられたループ、社会のコードが隔離しなければならない短絡回路だと書いていた。そこで彼が引いているのが、『アンチ・オイディプス』のこの一節だ。
Incest as it is prohibited (the form of discernible persons) is employed to repress incest as it is desired (the substance of the intense earth).
禁止される近親相姦(識別可能な人格の形式)は、欲望される近親相姦(強度の大地の実質)を抑圧するために用いられる。
オイディプスは母を欲望し、父の法はその欲望を禁じ、精神分析はその禁止と欲望の劇を家族の三角形の中で何度でも上演し直す。けれどもその舞台の下、細胞の暗がりの中では、子はとっくに母の身体に入り込み、母の血の中を泳ぎ、母の臓器の中に居座っている。それはどんな法にも禁じられたことのない、そもそも禁じようのない短絡で、オイディプスが母との結合を夢見るよりずっと前に、その結合はウイルスの膜を介して、もう物として済んでいたのだ。
緊急避難カプセル
ここまでsyncytinをヒトの、あるいは霊長類の話として書いてきたけれど、話はそこで終わらない。マウスやラットのような齧歯類の胎盤にはsyncytin-Aとsyncytin-Bと呼ばれる別の遺伝子があって、それは霊長類のsyncytinとはまるで別のウイルスに由来している。肉食動物にも、ウシやヒツジのような反芻動物にも、それぞれ別のウイルスから取り込まれたそれぞれのsyncytinが見つかっているとされる。胎盤を持つ哺乳類は進化の歴史の中で1度だけ幸運な事故に遭ったわけでもなくて、系統ごとに、別々の時代に、別々の侵入者を迎え入れ、そのたびに侵入者の合鍵を盗んで子宮の膜をつくり直してきたらしい。古いsyncytinが、あとから取り込まれた新しいsyncytinに少しずつ役目を奪われて置き換えられてきたのではないか、という仮説まである。
ランドは「Meltdown」で、核を持つ細胞の起源をマーギュリスに借りてこう書いている。
The eukaryotes are synthetic emergency capsules in which prokaryotes took refuge as mitochondria: biotics became securitized biology.
真核生物とは、原核生物がミトコンドリアとして逃げ込んだ合成の緊急避難カプセルである。こうして生物は、安全保障化された生物学になった。
同じ文章の少し前でランドは、クローン化や遺伝データの水平移動が押し寄せるなかで細菌的な性への逆戻りが起きる、とも書いていた。哺乳類は、その安全保障化のいちばん洗練された到達点のように見える。体温を一定に保ち、子を体の中で守り、親から子へ縦にだけ遺伝子を手渡していく、垂直の系譜の完成形として。けれどもその垂直の系譜を可能にしている器官そのものが、ウイルスという水平の侵入者から何度も繰り返し盗まれた道具でできているのだとすれば、哺乳類は細菌的な性から1度も逃れたことがなかったことになる。むしろ逃れたふりをするために、その性のいちばん深いところを子宮の中に囲い込んできたと言ったほうが近いのだろう。
「Everything is dead already」で書いたように、僕たちの皮膚のいちばん外側はもう死んだ細胞でできていて、フロイトの小胞は自分の外層を死なせて壁にした。胎盤はその壁のもうひとつの版で、こちらは死んだ自分の代わりに、生きた他人の道具でできている。HSSの最初の膜は、内側からは死で、外側からは侵入者で編まれていたわけだ。
ここでパリシが論文の最後に置いた警告を思い出しておきたい。彼女は、生命の潜在性を自然化して、生命が自発的に資本や制度の包摂に抵抗する野生の力であるかのように考えることをはっきり退けていた。syncytinの話を、ウイルスと共生する生命のしなやかさを讃える寓話にしてしまうと、その罠にまっすぐ落ちる。僕が書きたいのは、侵入者が飼い慣らされたという安心な話でも、生命が侵入者を味方につけたという勝ち誇った話でもない。飼い慣らすことと侵入されること、系譜と伝染、守る膜と破る合鍵、母と墓が、どこまで掘っても見分けられなくなっていく地点のことで、僕はその地点をただ見えるようにしておきたいだけだ。
だから次に誰かが血のつながりについて話すのを聞いたら、母の血と子の血は原則として直接には1滴も混ざらないことを思い出してみてもいい。2つの血流は9ヶ月のあいだ、syncytinが融かしてつくった1枚の膜で隔てられていて、酸素も栄養も老廃物も、すべてその膜を通り抜けることでしか行き来できない。僕たちが血のつながりと呼んできたものの正体は、かつて誰の血縁でもなかった奴の遺品でできて血と血のあいだに張られた薄い膜で、僕たちはその膜に隔てられることでつながれ、その膜を脱ぎ捨てることで生まれ、その膜をつくる遺伝子を墓の中に眠らせたまま次の誰かへ手渡していく。
血のつながりは、他人の膜でできている。
参照
- Nick Land, "Meat (or How to Kill Oedipus in Cyberspace)", "Meltdown", in Fanged Noumena: Collected Writings 1987-2007, Urbanomic/Sequence, 2011.
- Sadie Plant, Nick Land, "Cyberpositive", in Matthew Fuller (ed.), Unnatural: Techno-Theory for a Contaminated Culture, 1994.
- Gilles Deleuze & Félix Guattari, Anti-Oedipus: Capitalism and Schizophrenia, trans. R. Hurley, M. Seem, H. R. Lane, University of Minnesota Press, 1983.
- Luciana Parisi, "Life by Contagion", Theory, Culture & Society 24(6), 2007.
- Lynn Margulis & Dorion Sagan, Origins of Sex, Yale University Press, 1986.
- S. Mi et al., "Syncytin is a captive retroviral envelope protein involved in human placental morphogenesis", Nature 403, 2000.
- J.-L. Blaise et al., "Genomewide screening for fusogenic human endogenous retrovirus envelopes identifies syncytin 2", PNAS 100, 2003.
- A. Dupressoir et al., "Syncytin-A and syncytin-B, two fusogenic placenta-specific murine envelope genes of retroviral origin conserved in Muridae", PNAS 102, 2005.
- M. Mangeney et al., "Placental syncytins: Genetic disjunction between the fusogenic and immunosuppressive activity of retroviral envelope proteins", PNAS 104, 2007.
- C. Lavialle et al., "Paleovirology of 'syncytins', retroviral env genes exapted for a role in placentation", Phil. Trans. R. Soc. B 368, 2013.
- P. B. Medawar, "Some immunological and endocrinological problems raised by the evolution of viviparity in vertebrates", Symp. Soc. Exp. Biol. 7, 1953.
- D. W. Bianchi et al., "Male fetal progenitor cells persist in maternal blood for as long as 27 years postpartum", PNAS 93, 1996.