Death of Libertarianism, part 1 of 6
equilibrium (DoL pt.1)
リバタリアンは寄生の構造を誰よりも正確に描けるのに、それを止める回路を持っていない。CaplanとBoudreauxの開放国境論から、帰結の局所化が切れて平均値5の均衡へ滑り落ちていく過程を、Landのブログから再構成する。
政治ニュース断食
2013年5月、Nick Landは自分のブログOutside inに、ほとんど何も書き足さないまま、Andrew Zalotockyという男が書いた短い一節を貼り付けた。
If you want to introduce someone to libertarian thinking, encourage them to try this experiment. Spend a few days reading nothing but technology news. Then spend a few days reading nothing but political news. For the first few days they'll see an exciting world of innovation and creativity where everything is getting better all the time. In the second period they'll see a miserable world of cynicism and treachery where everything is falling apart. Then ask them to explain the difference.
誰かにリバタリアン的な考え方を紹介したいなら、こんな実験をすすめるといい。数日間、テクノロジーのニュースだけを読む。次の数日間、政治のニュースだけを読む。最初の数日間、その人はすべてが絶えずよくなっていく、革新と創造に満ちたエキサイティングな世界を見るだろう。次の期間には、すべてが崩れ落ちていく、冷笑と裏切りに満ちた惨めな世界を見るだろう。そのあとで、その違いを説明してもらうんだ。
Landが添えたのは「リバタリアン思考への入門? 議論せよ」という問いかけだけで、あとはコメント欄に投げてある。でもこの実験はよくできていて、2つのフィードを並べた瞬間に、一方では物事が勝手に加速していき、もう一方では物事が勝手に腐っていくという非対称が誰の目にも見えてしまうし、リバタリアンはその違いをいちばんうまく説明できる奴らなのだ。前者には価格と競争と退出があり、失敗した会社は潰れて、潰れたことがそのまま情報になる。後者には投票と再分配と恒久的な予算があって、失敗した政策は潰れるかわりに予算を増やして次の年度へ持ち越される。この説明は正確で、反論しようとしても大抵は負ける。
問題は、説明が正確になればなるほど、2つ目のフィードが何ひとつ変わらないことのほうがはっきりしてしまう点にある。リバタリアンは寄生の構造を誰よりも精密に描けるのに、その精密さを行動に変える回路を持っていなくて、描けば描くほど描いたものが太っていくのを見ているしかないのだから、診断の解像度と無力さは同じ速度で上がっていき、片方がもう片方の燃料になる。明晰さと無力さの正のフィードバック。Landが2013年に3回にわたって書いたSuicidal Libertarianismというシリーズと、そのまわりに散らばる記事は、このループがどこまで行くのかを観察した記録として読める。
診断は正しかった。問題は、正しい診断を握りしめたまま奴らがどこへ歩いていったかだ。
Very. Bad. Indeed.
その年の6月、Landは経済学者Don Boudreauxの文章に引っかかる。Boudreauxは自分が深く尊敬する何人かの友人から、移民はいずれその政治的な力を使って、もっと介入主義的で個人の自由を尊重しない政策に投票するだろう、という懸念を聞かされたと書いていて、Landはまずそこに「想像しにくいよね」と皮肉を返し、カリフォルニア州とかいう取るに足らない例を無視すればの話だけど、と付け足し、1965年の移民国籍法以来、加速モードで起きてきたことは、Boudreauxの言う「より介入主義的で自由を尊重しない」方向への移動の証拠に見えないのか、と問いかける。ここまではまだ前置きで、本題はBoudreauxが自分で書いた次の一節だった。
I still support open immigration. I cannot bring myself to abandon support of my foundational principles just because following those principles might prove fatal.
それでも僕は開かれた移民を支持する。その原理に従うことが命取りになるかもしれないというだけで、自分の根本原理への支持を捨てる気にはどうしてもなれない。
これは奇妙なくらい正直な文で、移民が統制経済の方向へ投票すること自体は「とても、悪い、ことだ」と強調して認めたうえで、それでも原理のほうを取ると言っているのだから、ここでは帰結の計算はもう完全に放棄されていて、残っているのは原理への忠誠だけになっている。市場の帰結主義から出発したはずの思想が、最後には帰結を見ないことを美徳として語りはじめる。Landの返答は短い。
The thing is, they did prove fatal. That's why the neoreaction exists.
問題は、それが実際に命取りになったってことだ。だからこそネオリアクションは存在している。
ネオリアクションはリバタリアニズムを乗り越えたり総合したりして出てきたものとして語られていない。原理が命取りになったという出来事がまずあって、その死体のそばから別のものが走り出した、という順番で語られている。だからこのシリーズのタイトルは、リバタリアニズムがこれから死ぬかもしれないという警告として読むより、すでに起きた死の検死報告として読んだほうがいい。
翌7月、検死台にはもっと速い死体が載る。
When it comes to the libertarian suicide race, Bryan Caplan leaves Don Boudreaux in the dust. Caplan takes the Non-Aggression Principle and runs with it, all the way into a maximum-velocity self-directed death cult.
リバタリアンの自殺レースとなると、Bryan CaplanはDon Boudreauxを置き去りにする。Caplanは非侵害原則をつかんで走り出し、そのまま最高速度の自己指向的な死のカルトまで一直線に突っ込んでいく。
自殺がレースになっていて、しかも速度を競っている。Landは同じ記事で、Caplanのやっていることはアメリカのリバタリアニズムが昔から抱えていたネオピューリタン的な精神の暴走を限界まで押し進め、議論を帰結の現実的な見積もりから切り離して、自衛も報復も境界も一切禁じられた義務論的な道徳的狂信に変えてしまうことだと書いていて、それを一方的な利他だけが許されるゲームにたとえ、この人と囚人のジレンマを何ラウンドか遊んでみたら楽しいだろうね、と付け加えている。加速しているのはリバタリアニズム自身で、行き先が自分の死だというだけのことだ。
Loserbum社へようこそ
Caplanが開放国境を擁護するために出してくる例はこういうものだった。人口が同じ2つの国があって、政策の質は0から10まで、10が最高とする。A国では人々がいちばん望む政策、つまりbliss pointが区間に一様に分布していて、B国ではに分布している。民主的な競争が出す答えは中央値だから、別々の国のままならA国の政策は4、B国は6で、人々が暮らす政策の平均はになる。ここで国境を開いて全員が豊かなB国へ移ったとすると、全体の分布の中央値は5になって、移民はよりよい政策のもとで暮らし、元の住民はより悪い政策のもとで暮らすことになるけれど、平均の5は変わらない。だから移民に反対する理由はない、とCaplanは言う。
Landはこれを読んで、まだ言葉も出ないかい、僕はブログ記事を書いてる途中だから黙ってる余裕はないんだけど、と前置きしてから、この議論の中身をひとことに圧縮してみせる。人類全体の政治的愚かさを平均したもの以外の体制のもとで暮らそうとする試みは、すべて重大な人権侵害である、というわけだ。それに続くのが、Effective社とLoserbum社という2つの会社のたとえ話で、社風は名前のとおり。市場ではLoserbum社はEffective社から学ぶか、潰れるかのどちらかで、どちらに転んでも世界にとっては得か、大した損失ではない。ところがそこへCaplanがやってきて、Effective社の株主と経営陣と社員を怒鳴りつける。この人でなし、Loserbum社の連中のことをちっとも気にかけないのか、彼らも君たちと同じ道徳的地位を持ってるんだぞ、真にラディカルな自由市場のプランはこうだ、Loserbum社の全員を君たちの会社に入れて、働かせて、彼らの経営戦略と仕事のやり方を持ち込ませて、均衡に達するまで続ける、均衡こそ市場の本質だろう、Effective社はかなり劣化するだろうけど、かわいそうなLoserbumたちの効用の増加を想像してごらん、全部ならせば帳尻は合うさ。
笑えるけれど、Landがこのたとえで取り出そうとしているのは市場がなぜ働くのかという話で、それはリバタリアン自身がいちばんよく知っているはずの原理だった。
If any institution is to work, it's because competition keeps it in line. This requires a number of things, all of them incompatible with homogenization: experimental variation, differential support for comparison, local absorption of consequences, and selection through elimination of failure.
どんな制度であれ、それが機能するのは競争がそれを律しているからだ。そのためにはいくつかのことが必要で、そのどれもが均質化と両立しない。実験的な変異、比較を可能にする差異、帰結の局所的な吸収、そして失敗の除去による選択。
国は会社じゃない、という反論が来ることもLandは見越していて、厳密には違うかもしれないけれど国も競争する制度であって、競争的であればあるほどよく機能するのだし、いちばん大事なことは両方に等しく当てはまると続ける。自分たちの失敗を外部化して、プールできればできるほど、それらは学ばなくなる。
ここで起きていることをフィードバックの言葉で言い直すと、こうなる。市場という機械が動くのは、失敗の帰結がその失敗をやらかした奴のところに局所的に戻ってきて、その奴を潰し、潰れたという信号が残りの全員に流れるからで、つまり市場はそれ自体ひとつの負のフィードバック回路として誤差を局所で吸収し、吸収されたぶんだけ全体が学習する。Caplanの開放国境は、この回路の帰還線を切る。失敗はもう局所に戻ってこないで、世界全体に薄く塗り広げられ、誰も潰れないかわりに誰も学ばなくなるのだから、Caplanの言う均衡は市場の均衡じゃなくて熱力学の均衡、差異が全部ならされて何も流れなくなった状態のほうに近い。平均値の5は保存される。保存されないのは、5から離れていたものすべてだ。
Landが持ち出す例はシンガポールで、シンガポールが世界にしている貢献は、その小さな人口が得る効用の増加とはほとんど関係がなく、それがひとつのモデル、つまりEffective社として存在して、すべてのLoserbumに自分たちが何者なのかを見せていることにあるのだ、と彼は書く。そこをLoserbumで水浸しにして壊せば、その機能は消える。もしそれが1970年代の終わりより前に起きていたら、中華人民共和国はたぶん今もネオ毛沢東主義の地獄のままだっただろうし、中国はシンガポールに3億人の貧しい農民を流し込んだりせず、そのかわりにシンガポールの例から学んだ。実際、鄧小平は1978年11月にシンガポールを訪れていて、1992年の南巡では深圳で、シンガポールの社会はとても秩序立っている、彼らの経験を手本にすべきだと語っている。モデルは比較されるために、差異として残っていなければならない。Caplanの世界ではそういう例が全部消えて、ほどよく平均された4分の3くらいLoserbumな連中が、リバタリアン共産主義の沼でうなり合っているだけになる、とLandは書いていて、そこでは何もどこでも機能せず、教訓というものがありえない。
Caplanにはほかの議論もあって、Landがいちばんましだと認めるのは、貧しい移民の存在は元の住民を福祉国家嫌いにさせるから、社会を相互嫌悪の状態まで壊すことが福祉国家を縮める最良の方法だ、というものだった。人は自分の身内の面倒を見ることには喜んで投票するけれど、貧しい人々が文化的に遠くなると福祉国家への支持は弱くなる。Landの反応は、これはあまりにマッドマックスすぎて、正直けっこう気に入ってしまった、世界を燃やせば福祉国家も一緒に燃える、イェェェェェイ、というものだ。本文はこう終わる。リバタリアンの言うことを誰も聞いていなくて、Gnonに感謝。
Gnonとの共作
9月になると、LandはCaplanの頭の中にある世界に名前をつける。Caplan Worldには社会組織の重要なレベルが2つしかなくて、所有権を完全に保障された私的な所有者たちと、自発的な協力の生産的な関係へ自分を振り分けようとしている人類全体、Caplanの比喩で言えば世帯と惑星しかない。惑星を断片から解放するために何をしても世帯がひどく傷つくことはないし、むしろ数十億人の潜在的な借り手に門戸が開くのだから得しかない。この世界では開放国境は考えるまでもない話だった。ところが太陽系第3惑星では、誰の所有権も保障されていない。
These aren't stupid people. They have to know their plans won't result in the importation of voiceless exit-units, or free-contractors, but rather of a new people, already pre-determined by democratic assumptions to be particles of political sovereignty — i.e. masters. You don't get to decide (commercially) whether they can stay in your house. They get to decide (politically) whether you can keep your house. Since they are also disproportionately saturated with the bio-cultural heritage of places that have never shown any taste or competence for the creation or mere preservation of freedom-tolerant institutions, the subsequent democratic decisions — it can reliably be predicted — will be horrendous. If this were not so, why would the Left-half of the political spectrum be openly salivating about the electoral catastrophe in process? (Nobody thinks they're importing reinforcements for the Tea Party.)
奴らは馬鹿じゃない。自分たちの計画が、声を持たない退出ユニットや自由な契約者を輸入することにはならず、民主主義の前提によってあらかじめ政治的主権の粒子として、つまり主人として決められた新しい人々を輸入することになると、分かっているはずだ。彼らがあなたの家に住み続けてよいかどうかを、あなたは商業的に決められない。あなたが家を持ち続けてよいかどうかを、彼らが政治的に決める。しかも彼らは、自由を許容する制度を生み出すことにも、ただ維持することにさえ、何の嗜好も能力も示したことのない土地の生物文化的遺産を不釣り合いなほど濃く背負っているのだから、そのあとの民主的な決定は、確実に予測できるとおり、ひどいものになる。そうでないなら、なぜ政治スペクトルの左半分は、進行中の選挙の大惨事を前におおっぴらに舌なめずりしているのか。ティーパーティーの援軍を輸入していると思っている奴なんていない。
Caplan Worldの借り手は、現実には投票者でもあって、彼らが何よりも大きく投票の対象にしているのは他人の所有権なのだから、国境をなくしたあとに残る所有権は、地球の人口全体が認めてもいいと思う範囲のものだけになる。Landの議論はここで2枚重ねになっている。1枚目は装置の話で、市場の中では退出ユニットだったものが、国境を越えた瞬間に民主主義によって主権の粒子へ書き換えられる。2枚目は中身の話で、書き換えられた粒子が何を運んでくるのかについて、Landは自由を許容する制度を一度も作れなかった土地の生物文化的遺産だと言い切り、だから結果はひどいものになると予測する。Caplanはどちらの層も見ない。装置を見ないから投票者を借り手と取り違え、中身を見ないから人間を交換可能な単位として平均してしまう。
その書き換えがどう振る舞うかについては、8月の記事にもうひとつの絵があった。CaplanはExpressive votingの例として1871年のアルザス=ロレーヌを取り上げていて、ドイツ第二帝国に併合された新しい市民の90パーセント以上が反プロイセンの地域政党に投票したのに、フランスへ移住し直したのは5パーセントだけだった、と書いている。移動のパターンは経済的な機会にもとづく本物のコミットメントを明かしていて、選挙のほうは帰結を伴わない民族感情を表出する機会にすぎなかった。Landはそこから、Caplanが引き出したかったはずのものとは逆の教訓を引き出す。私的な経済生活では几帳面なほど合理的な人々でさえ、選挙の機会があれば、自分自身の顕示選好から見ても狂気としか言えないものに投票するし、模範的な移民労働者でさえ、まさに自分が逃げてきた社会病理を再生産する方向に票を使うだろう。
Like the French in post-1871 Alsace-Lorraine, they'll probably vote as if they want to live somewhere they manifestly don't want to be.
1871年以降のアルザス=ロレーヌのフランス人のように、彼らはおそらく、自分たちが明らかに住みたくない場所に住みたがっているかのように投票するだろう。
この記事のコメント欄で、Lesser Bullという読者が「カリフォルニアと州境を接するどの州も、廃墟から逃げてきてその廃墟を輸入するために投票する人たちのことをよく知っている」という意味のことを書いた。原文ではfleeing ruin voting to import that ruinと読点なしで続いていて、Landはそれを1つの複合語として読んでしまい、ruin voting、つまり廃墟の投票は間違いなくキープだね、と返信し、自分の構文解析がバグった副産物なのは分かってるけど、と付け加える。Lesser Bullの返事は、なおさらいいね、狙って言ったんだったらよかったのに、だった。概念は読み違いから生まれた。2週間後、Border Folliesのコメント欄でLesser Bullが、コロラドが最近左へ寄ったのは、自分の州から逃げてきたのに投票箱では自分がまだ善人だと示すために定番の左派政策を支持するカリフォルニアの廃墟投票者のせいだと書くと、Landは、抗いがたい診断だ、君がGnonと一緒にでっち上げたあの廃墟の投票ってやつ、すごい火力を見せてるよ、と返す。誰も意図していない誤読が、使われるたびに現実を説明する力を増していく。同じスレッドで、Landは別の読者にもっと冷たい返事をしている。
I'm not assuming that the whole of America is 'local' — only that there are no effective sub-localities in America (e.g. free states) because unimpeded migration + portable positive rights mean that there is nothing to stop a tide of 'Californians' heading anywhere in the country they want and 'ruin voting' the place into chaos. Secessionary fragmentation, sufficient to end geographically transferrable democratic citizenship, is a minimum condition for any of the things you want to see.
僕はアメリカ全体が「局所」だと仮定しているわけじゃない。言っているのは、アメリカには自由州のような実効的な下位の局所が存在しないということだけで、妨げのない移住と持ち運びのできる積極的権利があるかぎり、「カリフォルニア人」の波が国内の好きな場所へ向かって、そこを「廃墟の投票」で混沌に変えるのを止めるものは何もない。地理的に移転可能な民主的市民権を終わらせるのに十分な分離的断片化こそが、君が見たいと思っているあらゆるものの最低条件なんだ。
ここで正のフィードバックは地図の上に乗る。ある州が投票で自分を壊すと、人はそこから逃げ、逃げた先で同じ投票をして、その州も壊れはじめ、また人が逃げる。失敗は局所で吸収されるかわりに、持ち運べる票と権利にくっついて地理的に伝播していくのだから、逃げることそれ自体が破壊を広げる媒体になっていて、退出が退出として機能しない。Caplanが均質化と呼んだものの実際の姿はこれで、それは穏やかな平均化じゃなくて、壊れた回路が次の回路を壊していく連鎖だった。
12月、Landはシリーズの3本目をこう書きはじめる。
Two posts in succession at Tyler Cowen's Marginal Revolution acknowledge that libertarianism's suicide-by-population-replacement is proceeding according to spontaneous disorder. Completely un-shockingly, mass low-IQ immigration from dysfunctional cultures that despise economic liberty has pushed libertarian ideas from marginality into complete irrelevance. So it goes.
Tyler CowenのMarginal Revolutionに続けて載った2つの投稿が、リバタリアニズムの人口置換による自殺が自生的無秩序に従って進行していることを認めている。まったく驚くことではないが、経済的自由を軽蔑する機能不全の文化からの低IQの大量移民が、リバタリアンの思想を周縁から完全な無関係へと押しやった。そういうものだ。
2つの投稿のうち1つは、UCSDの心理学者Hal Pashlerの研究を引いていて、移民は米国生まれの住民に比べて自由を支持する見解への支持がはっきり低く、その差はほとんどの項目で統計的に有意で大きい、外国生まれの人口の割合が増えるにつれてアメリカでのリバタリアン的価値の政治的な見通しは縮んでいくだろう、という結論になっている。Hayekの自生的秩序を裏返した自生的無秩序という言い回しはよくできていて、誰もこの自殺を設計していないし、誰も命令していないのに、個々の移動と個々の投票が勝手に積み重なって、全体がひとつの方向へ滑っていく。秩序が自生するのと同じ仕組みで、解体も自生する。Landはその記事を、この狂った連中のために、アメリカの破壊を経由しない自己廃絶の近道がどこかにあればよかったのに、と締めくくっている。2015年には、開放国境の擁護者だったNathan Smithが、世界のGDPを倍にするという開放国境の経済モデルは数十億人の国際移住を前提にしていて、アメリカの政体は50年かけたとしても10億人の移民を吸収して基本的な政治的性格を保てるほど頑丈ではないと思う、と書くところまで来る。Landはそれを、政治SFのシナリオとしてはなかなか推せる、アウター・ライトが意外と気に入りそうな断片化の要素まで入っている、と評した。
同じ年の8月、LandはThick and Thinというごく短い記事で、リバタリアンが使う厚いと薄いの区別はNRxの論争にも使えるかもしれないと書き、その場合NAPが究極の、それ以上還元できない公理として役立たないことは言うまでもないと思うけれど、では何がその位置に来るのかと自問して、こう答えている。
Perhaps: Maximal localization of consequences (and thus cybernetic sensitivity)?
たぶん、帰結の最大限の局所化、つまりはサイバネティックな感度?
Caplanが壊したのはまさにこれだった。帰結を局所に戻す回路、失敗をやらかした奴のところへ失敗を返す帰還線。NAPは原理として最後まで一度も破られず、Caplanも誰かを侵害したことはなく、Boudreauxも根本原理を捨てずに済んだのに、その原理を守ったまま回路が切れて、すべてが平均値5の均衡へ滑り落ちていくあいだ、2つ目のフィードはさらに速く腐っていった。Caplanが約束した均衡はたしかに来る。それは何も流れなくなった状態のことだった。
原理は最後まで守られた。それが致命的だった。
参照
- Nick Land, "Libertarian insight", Outside in (xenosystems.net), 2013年5月5日.
- Nick Land, "Suicidal Libertarianism", Outside in (xenosystems.net), 2013年6月25日.
- Nick Land, "Suicidal Libertarianism (Part D’oh)", Outside in (xenosystems.net), 2013年7月7日.
- Nick Land, "Suicide Express", Outside in (xenosystems.net), 2013年8月19日.
- Nick Land, "Border Follies", Outside in (xenosystems.net), 2013年9月3日.
- Nick Land, "Suicidal Libertarianism (Part-n)", Outside in (xenosystems.net), 2013年12月2日.
- Nick Land, "Policy Migration", Outside in (xenosystems.net), 2015年8月21日.
- Nick Land, "Thick and Thin", Outside in (xenosystems.net), 2015年8月29日.
- Deng Xiaoping and Singapore