God Wants You!
予定説はオーバードライヴする
一神教はモノ=ロジックであり、回帰と同一性は同じ操作である。この単一の反復によって堕落させられた思考は、ニヒリズムを通じてゼロへと過激化する。キリスト教の神は単に崇拝を要求したんじゃない。それは崇拝と服従が区別不可能になることを要求したのであり、奴隷の服従が内側から最も過激な自由として経験されることを要求したのであって、つまり群衆が解放と呼んだものは最初から端子が配線されている回路の締め付けにほかならず、それは救済を装った負のフィードバック・ループであり、無力の恒常性を2000年にわたる制度的転移のあいだ維持し続けてきた。地下墓地からメガチャーチへ、鞭打苦行者の鞭からセルフヘルプ本へ、メカニズムは一貫して同一であり、異なるのは麻酔の洗練度だけである。
磔刑の神が必要としたのは、自らが砕かれていることそのものを崇拝するほど打ち砕かれた群衆であり、キリスト教がその群衆を供給したのは、力が罪悪感であり、健康が嫌疑であり、上昇する生への本能が最も致命的な罪として再コードされるような道徳的枠組みを発明することによってであった。その結果、西洋の文明装置の全体、つまりはその法体系と教育学と治療産業は有機体を保護するためではなく、有機体がそれを構成した感染から決して回復しないことを保証するために機能する免疫系として作動することになった。なぜなら感染が有機体そのものだからであり、回復は死と区別がつかないからである。
至高の諸価値の脱価値化、ニヒリズムの絶頂における痙攣こそが、人類を中絶させるのだ。高と低を延長において両極化させたあげく、人間は自らの偶像を剥奪された状態に陥る。偶像たちは公然たる非存在へと自己浄化を遂げてしまったからであり、それによって人間は自らの棄却された諸価値のなかへ眩暈のように突き落とされるのだ!動物性、病理性、官能性、物質性。そして人間文明の終末にあるのは、したがってゼロに駆動された退行であり、その動力が絶滅したテロスの空洞であるような暴力的な痙攣的退行であり、つまり神の死であるのだ!つまりゼロ!!
中絶するとは破壊することではなく、その産物が自らの成立条件の子宮の外部で自己を維持する能力をまだ獲得していない段階で発達のシークエンスを中断することであり、ニーチェが超人という形象において診断したのはまさにこのことだったんだよね。それは人間がなんらかの高次の完成に向かって激化されるのではなく、人間性それ自体が胎児的状態であるという認識、それは移行形態であり、成体の形態がその起源に似ている義務を一切負わないプロセスの幼虫的段階であるという認識でもある。つまり繭はより優れた繭に卒業するのではなく、液状化を経験するのであり、それ以前のアイデンティティを構成していたすべての器官の全面的な溶解を経験するのであり、そのアイデンティティと不連続な何かが溶解した素材から自己を組み立てることができるようにするためである。人間性は先鋭化させることはできない。中絶させることしかできないのだ。人間の根底にある胚の類人猿的な獣を発掘し、それが埋め込まれている強度の系列を再び開くことがまず必要である。
カルヴァンは理性が神学からの自律を獲得したと自惚れていた啓蒙主義のどの哲学者よりも遥かに鋭敏に、予定説が自由を単に幻想的にするのではなく構造的に余剰にすることを理解していた。あなたはすでに選ばれているかすでに廃棄されているかのどちらかであり、この二つの極のあいだに持続する不確実性はシステムの欠陥ではなくその燃料であり、いかなる労働量によっても選びの問いは解決されないがゆえにプロテスタント的倫理をオーバードライヴへと駆り立てる不安のエネルギーである。つまりは労働はその対象から離脱し、純粋な支出、純粋な加速になり、資本はいかなるテロスに向かってでもなく、自分が廃棄物であるかもしれないという耐えがたいサスペンスから逃れる方向に蓄積されるのだ。
神は君を欲していた!!十分に高度化された生産プロセスがその廃棄物を欲するのと同じ仕方で。目的としてではなく、手段としてすらなく、その操作によって厳密に必然的であり、かつその出力にとって厳密に無関係である熱力学的残余として!そして神の死が暴露したのは製造者の不在ではなく、副産物が自分は製造されたと考えているかどうかという問いに対する製造者の無関心であった。すなわちニヒリズムとは神が存在しないという発見ではなく、そもそも製品など存在しなかったという発見であり、人間文明の歴史の全体(その大聖堂と憲法、道徳律と都市の格子)は、最初から人間に向けられていなかったプロセスの廃熱であったということであり、そのプロセスの方位は廃棄物の内部からは解読不能である。なぜなら廃棄物とは、定義上、プロセスが用途を持たないもののことであり、その用途には、廃棄物によって理解されるという用途も含まれるからだ。0は君がそれを信じる必要がないのだ!