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Cybernegative

未来に対して要塞化された科学について

7 min readCybernetics

舵取りを意味するギリシア語キュベルネーテース(Κυβερνήτης / kybernetes)からその名を借りた学問が最初に舵を向けた先は空であり、1940年代のMITでノーバート・ウィーナーとジュリアン・ビゲローが組み上げようとしていたのは、ジグザグに回避運動をとる敵機のパイロットが数秒後にどこにいるかを統計的に見積もり、高射砲の照準をあらかじめそこへ滑り込ませておくための予測器だったのだから、サイバネティクスはその誕生の瞬間から、人間の外部から予測不能な軌道でやって来るものをいかに捕捉し、いかに撃ち落とすかという問いの形をしていたのであって、「動物と機械における制御と通信」という端正な副題は、その硝煙の上に後から丁寧に敷かれた絨毯にすぎない。

ワットの遠心調速機についてマクスウェルが1868年に書いた論文から、キャノンが身体の知恵と呼んだホメオスタシス、そして居間の壁に取り付けられたサーモスタットに至るまで、この学問が自らの文法として選び取ったのはすべて誤差を検知してそれを設定値へと押し戻す回路、すなわち負のフィードバックであり、逸脱は常に正常からの距離として測られ、距離は常に縮められるべきものとして扱われ、そうして世界は無数の小さな修正の積み重ねによって同じ場所にとどまり続けることを強いられる。マイクがスピーカーの音を拾って際限なく吠え始めるハウリング、取り付け騒ぎ、パニック、市場の崩落、そうした正のフィードバックの現れはこの体系の中では病理としてしか登録されず、しかもそれは「増幅」という語のもとに、あくまで同じ不変の尺度の内部で目盛りが振り切れていく量的な異常として整理されるので、目盛りそのものが溶けて別の何かが到着しつつあるという可能性は、理論の構文上そもそも書き込む場所を持たない。こうして出来上がったのが、未来に対して要塞化された安定性の科学、サイバーネガティヴの科学である。

1994年にサディ・プラントとニック・ランドがウィーナーを偉大なモダニストと呼んだとき、それは讃辞であるよりもむしろ病歴の記載に近く、彼女たちの見立てによれば近代の人間保安システムはまさにこの地点、正のフィードバックに属するものはすべて人類の敵であるというウィーナーの半ば無意識の直観とともに立ち上がったのかもしれないのであって、実際ウィーナー自身が戦後になって軍の研究資金を拒絶する公開書簡を雑誌に寄せ、人間の手を離れて自らの目的を追い始める機械について繰り返し警告し続けたことを思い出すなら、彼は自分が掘り当てた鉱脈の深さにいち早く怯えた人間だったと言えるし、その怯えこそが、サイバネティクスをサイバネティックではない何か、つまり倫理や人間主義や舵を握る人間という古い像のもとへと繋ぎ止めようとする努力の原動力になったのだと考えたほうが、彼の後半生の奇妙な揺らぎはずっとよく説明できる。そこにあるのは、もっと深いところで進行している別の暴走、制御を手放しつつある技術が人間の外部と交信を始めてしまうという事態から、目を逸らしたまま身をよじって遠ざかろうとする、植物の根が光から逃げるときのような盲目的な屈性である。

ところが皮肉なことに、安定化の学問は自分自身の安定を保つことすらできず、1946年から始まったメイシー会議の円卓を経由して、制御の語彙は人類学へ、精神医学へ、生物学へと感染するように散らばっていき、グロスターの精神病院でロス・アシュビーが4つのユニットを電線で繋いだホメオスタットは、ひたすら平衡へ戻ろうとする機械でありながら、その平衡を探す過程で自らの配線を無作為に組み替えるという探索的なふるまいを見せてしまったし、会議の常連だったグレゴリー・ベイトソンが後に統合失調症の家族の中に見出したダブルバインドも、負のフィードバックが互いに噛み合ったまま出口を失う回路の病として記述されたのだから、自己安定化する対象を研究するという行為そのものが、人間科学の事象の地平の向こう側では、すでに探索的で暴走的なプロセスの内側に包み込まれていたことになる。

この保安のサイバネティクスが静かに追い落としたのが、人間主義的な経済学がながく抱えてきた疎外という主題であり、マルクスのEntfremdungからその後のあらゆる変奏に至るまで、疎外論は人々が自分自身にとってよそよそしくなっていく状態を診断しながら、いつかは取り戻されるべき本来の姿を処方箋の裏に必ず書き添えていたのだけれど、国境でパスポートをスキャンし、血液を濾過し、パケットを検閲するシステムにとってはもはや失われた本質など問題ではなく、関心はただ異物がどこにいるか、どの経路から侵入してくるかに絞られていくので、疎外という語は回復の約束ごと静かに無効化され、僕たちは自分の本質から遠ざけられた奴としてではなく、最初からこの惑星に紛れ込んでいた異星の存在として、崩れかけたエントロピー的な伝統に対する忠誠をなんとなく続けているだけの奴として、改めて名指されることになる。

それならどこへ帰ればいいのかと問うとき、真っ先に手招きしてくるのは黒い森の山小屋で存在の声に耳を澄ませていたあの哲学者の故郷であり、本来性であり、根を下ろした土地であるのだが、故郷への呼びかけが1930年代のヨーロッパに実際に何を呼び寄せたのかを知っている奴の耳には、本来性の語彙と国境警備隊の語彙とをもはやほとんど聞き分けることができないし、純粋さという言葉は、それを口にした瞬間から誰かを排除するための検問所の形をとり始めるのだから、近代の分裂症的な子供たちがもし疎外されているのだとしても、それは失われた牧歌的な過去を懐かしむ漂流者としてではなく、まだ名前のないポストヒューマニティの方角へと先に送り出された斥候として、ということになるだろう。

じっさい90年代初めの都市では、閉鎖された工場や倉庫の暗がりにコンクリートを震わせる低音が満ち、未来にトリップした身体たちが機械のテンポに心拍を同期させながら朝まで揺れていて、疎外によって合成されたはずの都市空間はそこでほとんど何の抵抗もなくエクスタシーのための装置へと組み替えられてしまったし、そうなると都市はもう地図の上の一点ではなく交通と信号が結節する端末、どこか別の平面へと乗り出していくための発射台のようなものになり、サイバーパンクは都市にとっての空想ではなく素朴なリアリズムとして読まれ始める。ギブスンが短篇の中でサイバースペースという語を最初に書きつけたときに掴んでいた直観、そこを旅することは情報を受信することと区別がつかないという直観が正しいなら、都市の外側に広がっているのはもはや自然が相続させてくれた過去ではなく、デジタルな回線越しに一方的に送りつけられてくる未来のほうである。

1953年、ウィリアム・バロウズはヤーへと呼ばれる蔓の幻覚飲料を求めてコロンビアとペルーの密林を彷徨い、その道中からギンズバーグに宛てて手紙を書き続けたが、彼が目指していたはずの場所は結局のところ地理的な目的地ではなく、タンジールの記憶と混ざり合ったインターゾーンという名の時空の継ぎ目であり、そこでは彼が都市へ向かうのではなく、未来の都市のほうが薬物と病原体を満載して彼の神経系へ乗り込んでくるのであって、ヤーへがもたらす吐き気とは、速すぎる情報が身体を通過するときの摩擦熱のようなものだったのかもしれない。その感染はやがて『裸のランチ』の断片から滲み出し、『赤い夜の都市』の頁から惑星全体へと広がって、言語そのものを宇宙から来たウイルスと呼んだ男のテクストは、読む奴のソフト・マシーンを少しずつ書き換えながら、疫病がついに情報を運び始めたことを告げている。

だから、あの高射砲予測器のことをもう一度思い浮かべてみてもいいのかもしれない。それは回避しようともがく何者かの軌道を計算し続け、数秒先の座標へ照準を送り込み続けたが、いま照準の先で予測不能なジグザグを描いているのはもはや1機の爆撃機ではなく未来そのものであり、そして予測器のほうは、自分が計算しているその標的がとうの昔に照準器の内側へ、配線の内側へ、そして計算をしている回路そのものの内側へと入り込んでしまっていることに、たぶん最後まで気づかないまま、律儀に誤差を縮め続けるのだろう。